蘭山記念美術館 第3回展

Boys' Festival & Early Summer Plants & Birds Drawing

Boys’ Festival & Early Summer Plants & Birds Drawing
The 3rd Exhibition @ Ranzan Memorial Art Gallery, Kawagoe

端午の節句にちなんだ画と初夏花鳥画を展示します。

Minamotono Yoshitsune - Young Warrior w/ White Bannière

Minamotono Yoshitsune – Young Warrior w/ White Bannière

白い軍旗(bannière)を持つ若武者は源義経とされています。

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これは江戸末期の川越の絵師の画です。
同じ頃、江戸で創られた五月人形を、
やはり江戸時代からつづく川越の商店で撮影しました。
人形は大将と弁慶でした。
大将は壇ノ浦の戦いで源氏の総大将の源義経のことです。
でも、なぜ義経とは言わないのか・・・
今日は壇ノ浦の戦いの日です。(旧暦3月24日)

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二・二六事件の高橋是清邸

Korekiyo Takahashi's House @ Edo-Tokyo Open Air Architectural Museum in Koganei Park

Korekiyo Takahashi’s House
@ Edo-Tokyo Open Air Architectural Museum in Koganei Park

小金井公園の江戸東京たてもの園に移築された高橋是清邸
小金井公園へはかつての実家から歩いていけた。
(2008年撮影)

Thru Windows of Korekiyo Takahashi's House

Thru Windows of Korekiyo Takahashi’s House
He was assassinated in this room on February 26th, 1936,
well known as two-two-six incident.

高橋是清の書斎の窓から門の方角をのぞむ
(2008年撮影)

昭和11年(1936年)2月26日に青年将校が
「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて
クーデターを起こすが、未遂に終わった。
この事件で、当時の大蔵大臣高橋是清も暗殺された。
高橋是清は日露戦争当時日銀副総裁で、
イギリスに戦費調達に赴き、成功した。
世界大恐慌後のリフレ政策後、
インフレの発生を防ぐ為に軍事予算の削減に着手し、
二・二六事件で暗殺された。
その後、大日本帝国は軍事予算を増大させ、大東亜戦争へ・・・

霜月祭り(湯立て神楽)


1994年12月、民俗写真家の友人、宗形慧氏の取材に同行して信州遠山郷上村の霜月祭りを撮影しました。鎌倉時代に宮中の祭祀から伝わったとされる古い祭りを今に伝えています。1994年と1995年に撮影した信州遠山郷の霜月祭りに取材したビデオ「湯立て神楽」(霜月祭りの別名)をあらためてYouTubeに載せました。撮影は(民生用)Hi8で、録音はDATです。編集にはかなりの時間がかかりました。アナログで編集機材も限られていたので、コマ単位の編集がたいへんだったこともありますが、祭りの内容を資料を読んで理解する時間も必要でした。撮影場所は、八社の舞と天伯の舞が上町(本来はかんまち)、たすきの舞・羽揃えの舞・神太夫夫妻の舞・四面の舞が程野、神名帳の読上げなどの神事が中郷です。編集後、程野のみでのビデオを作ろうと企画し、DVで再撮しましたが、まだ未編集で眠っています。

ぼくがこのビデオを作った意図は、記録的なビデオでも説明的なビデオでもなく、いわばミュージックライブビデオのように、祭りの熱狂と祈りを体感できるものを創りたかったのです。そのため、ナレーションは一切省きました。eyedia.comにこのビデオを掲載した時の祭りの説明がこちらにあります。ご参照ください。

遠山郷 霜月祭りの映像としては、まず、モノクロ・短編の岩波映画「山のまつり-遠山地方の霜月祭- 」(1955年)が上げられます。ぼくはこの映画を下栗の山の家で観ました。この映画は、日本の民俗に関する映像史上、画期的なものでしたが、その功罪について様々な意見があります。
霜月祭りにおける「対立と融和」(前編)(後編

実は、ぼくが取材に行った1994年、NHKの取材が上町に入っていました。たしか、新しいHiVisionによる民俗紹介シリーズの撮影だったと思います。照明用の電源車が数台で、太いケーブルが境内を這い、物々しい装備でした。上町の映像に白飛びが多いのは、ハイビジョン用照明のためです。神楽の演目も、特別の年のみの二回繰り返しで演じられたと記憶しています。NHKが取材するので、特別な年なのかも知れません。
この番組が放映された後、霜月祭りツァーも企画されるようになりました。ぼくが後に程野だけのビデオを作ろうと取材した時、観光客数名が神楽の舞の通路に折りたたみの椅子を拡げて退こうとしなかったりと、やはり同じように功罪があったと思います。自分も含め、民俗の取材の難しさを感じました。
今は、祭りは日本全国町興し・村興しという役目を担うようななりました。しかし、本来の土地の神を祀る意味も、住民が楽しむことも、そして、観光客にも楽しめることも、すべて大切にして欲しいと思います。

Tasuki no Mai @ Nakagou - December 13, 1994

Tasuki no Mai @ Nakagou – December 13, 1994

中郷のたすきの舞 19941213撮影

Shimotsuki Matsuri Festival @ Wada - December 13, 1994

Shimotsuki Matsuri Festival @ Wada – December 13, 1994

上村より南にある和田の霜月祭り 19941213撮影

Shimotsuki Matsuri Festival @ Wada - December 13, 1994

Shimotsuki Matsuri Festival @ Wada – December 13, 1994

和田の霜月祭り 19941213撮影
上村(上町・中郷・程野)とはスタイルが異なる。
釜はひとつで、湯立てを舞う人がつぎつぎに代わる。

立石稲荷神社 7月21日

Mekari Shrine @ Moji

Mekari Shrine @ Moji

門司和布刈神社 今日は潮の流れが速い。

What's Another Shrine of Opposite Bank of The Kanmon Straits?

What’s Another Shrine of Opposite Bank of The Kanmon Straits?

関門海峡の対岸に見える神社、
気になっていたので行ってみる事にした。

Akama Shrine @ Shimonoseki

Let’s Go To the Opposite Bank!
Walking Toward East Passing Akama Shrine @ Shimonoseki

赤間神社の水天門から右(東)方向に歩いて行く。

Pedestrian Crossing to Tateishi Inari Daimyojin (Great Gracious God)

Oh! No Sidewalk! Very Dangerous!!!
Finally Found Pedestrian Crossing to Tateishi Inari Daimyojin (Great Gracious God)

途中で歩道が無くなる。やっと辿り着いたら手押し信号が・・・

Tateishi Inari Daimyojin (Great Gracious God)

Tateishi Inari Daimyojin (Great Gracious God)

立石稲荷大明神

Torii of Tateishi Inari Daimyojin (Great Gracious God)

Torii of Tateishi Inari Daimyojin (Great Gracious God)

Oinari-san of Tateishi Inari Daimyojin (Great Gracious God)

Oinari-san of Tateishi Inari Daimyojin (Great Gracious God)

何故かふたつのお稲荷さん。
地元の壇ノ浦自治会と壇ノ浦漁業協同組合で手厚く祀られている。

Explanation of The Origin of Tateishi Inari Daimyojin (Great Gracious God)

Explanation of The Origin of Tateishi Inari Daimyojin (Great Gracious God)

石段の途中の踊場(左)にある立石大神由来訒

Towers/Mounds for Heike Unrelated & 1000 Samurais

Towers/Mounds for Heike Unrelated & 1000 Samurais

石段の途中の踊場(右)にある平家無縁之供養塔と平家千人塚

Dannoura Fishing Port

Dannoura Fishing Port

壇ノ浦漁港
生き残った平氏はこの地で漁師になったと伝えられる。

Dannoura Fish Port & Hiruko Shrine

Dannoura Fish Port & Ebisu (Hiruko) Shrine

壇ノ浦漁港にある蛭子(ヒルコ、エビスかも知れない)神社
立石稲荷をさらに東に歩いて関門橋を過ぎると
みもすそ(御裳)川公園がある。

弓田神社(元寇・文永の役)

Yumita Shrine @ Nishijin - Genko Bunei no Eki

Yumita Shrine @ Nishijin – Genko Bunei no Eki

Yumita Shrine @ Nishijin - Genko Bunei no Eki

Yumita Shrine @ Nishijin – Genko Bunei no Eki

Worship Cannonball @ Yumita Shrine @ Nishijin - Genko Bunei no Eki

Worship Cannonball @ Yumita Shrine @ Nishijin – Genko Bunei no Eki

Worship Cannonball @ Yumita Shrine @ Nishijin - Genko Bunei no Eki

Worship Cannonball @ Yumita Shrine @ Nishijin – Genko Bunei no Eki

Explanation Board about Yumita Shrine @ Nishijin - Genko Bunei no Eki

Explanation Board about Yumita Shrine @ Nishijin – Genko Bunei no Eki

西新の裏通りを歩いていると、
とても小さな神社があった。
何やら丸い玉を祀ってある。
これが文永の役を祀った弓田神社だった。
丸い玉は、元軍が使ったという、
板をバネとして飛ばした砲弾なのだろうか?
撮影:20130616

元寇防塁

Gulf of Hakata @ Imazu

Gulf of Hakata @ Imazu

今津からの博多湾の眺め(2013年10月18日撮影)

Remains of Genko-Borui in the Seaside Pine Wood

Remains of Genko-Borui in the Seaside Pine Wood
http://en.wikipedia.org/wiki/Genko_Borui

海辺の松林の中に遺る防塁

Excavated & Restored Genko-Borui

Excavated & Restored Genko-Borui
http://en.wikipedia.org/wiki/Genko_Borui

発掘・復元された部分

元寇は近代以前で、日本にとって一番大きな海外との戦いだった。
元(モンゴル帝国)とその属国の高麗王国による日本侵攻だった。
特に二回目の弘安の役(1281年)の勝利をもたらしたのは、
神風(台風)だけでなく、博多湾などに急遽作られた防塁だった。

元の属国であった高麗王国が、
集団的自衛権により日本に参戦したかは、記録に残っていない。(笑)